「私にとっての精神医療」(2001年)

昔書いた文章を読むのは恥ずかしいものです。それを晒すなんて穴があったら入りたいぐらいだったりします。でもたまにはいいかもしれない、と思って、2001年頃に書いた文章をお見せします。

16歳若い分、元気だけど未熟な自分がいる訳ですが、それほど変わっていないようにも見えます。自分が、というより精神医療、精神障害者を巡る状況があまり変わっていない(少なくともよい方向には)ということかもしれません。

その頃までは精神科領域だけで仕事をしていたので、文中では「精神科医」を自称しています。その後、在宅医療や緩和ケアでの仕事が多くなったこと、「精神科医」の持つ特別なニュアンスに疑問を持つようになった()ことで現在は単に「医師」と名乗っています。

ではご笑覧下さい。


私にとっての精神医療

山田 嘉則

「なぜ、精神科医になったのか?」と聞かれることがたびたびあります。このような問いは誠実に答えようとすると答えられなくなる性質のものです。首尾一貫したストーリーはたいていが虚構です。実際にはさまざまの因果の糸がもつれあって、今現在こうなっている、としか言えないものでしょう。
ただ、精神疾患や精神障害をもった人々としっかりとつきあってみたい、という思いがあった、ということは私にとってひとつの答えになるかもしれません。
私自身、吃音(いわゆる「どもり」)という障害を持ち、二十歳過ぎまでは人とうまく話すことができず、それどころか話す場面を避けてひきこもりがちでした。
それでも大学生の頃、さまざまな出会いがありました。縁というものでしょうか、不思議と精神疾患や精神障害をもった人たちとの出会いが私には多かったように思います。私はこうした人たちに何となく親近感を感じました。彼らはそれぞれの生きづらさを抱えています。しかし私には、その生きづらさが病気や障害のためばかりとは思えませんでした。この社会が彼らにとって生きづらい場所ではないか、という思いがありました。
「損をしている」とつぶやきたくなるという程度から、「不当だ!」と叫びたくなる程度まで、彼らはこの社会のせいで苦労をしていました。そしてその彼らと私の距離はそう遠いものではない、と思えました。

そして今、私は精神科医という仕事をしています。実際に精神医療の現場に出てみて、大学生の頃感じたことには根拠があった、ということが分かりました。
この国の精神医療が果たしてきた役割、それは必ずしも精神疾患や精神障害をもった人たちに寄り添い、彼らが社会で生きていく上で必要な手助けをするというものではなく、彼らを社会から引き離し、彼らのチャンスを奪い、いっそう孤立に追い込む、というものではなかったか、それを日々実感します。
特にいわゆる「精神病院」に長く入院している方の多くは、過去の精神医療によって与えられた心身にわたる傷を受けています。それは不意打ちの入院であったり、電気ショックであったり、薬物療法の後遺症であったりします。そもそも彼らの多くは適切な援助が行われていれば、決して今、病院にはいなかっただろう人たちなのです。
確かに精神医療は変わりつつあります。しかし、この人たちにとって、過去は過ぎ去ったものではありません。現在の精神医療もその過ぎ去らない過去の延長上にあると映っているのことも多いのです。彼らとしっかりつきあえばこのことを思い知らされます。

私にとっての精神医療はそんな彼らとともにあることです。しょせんは精神科医、今の私にどれだけできているか心もとないにしても。
そしてこの国の精神医療の改革もそこからしか始まらないのではないか、と思います。


特に「精神科医」という肩書で社会問題について発言している人たちについては立場のいかんに関わらず私は批判的です。中でも、他者を批判するときに精神医学的診断を用いたり「…症候群」などとラベルを貼ったりする人には。