幻聴は病気?

幻覚、という体験があります。幻覚には色々な種類がありますが、見えるはずのないものが見えることを幻視、聞こえるはずのない音が聞こえるのを幻聴と言います。

特に幻聴という現象は精神科で重視されて来ました。
幻聴は特に統合失調症という病気と結びつけられます。その病気をめぐって精神科の薬物療法が発展して来ましたし、世界一多い日本の精神科病床も、統合失調症と診断された人々を収容するために作られたと言ってよいでしょう。
こうした経緯もあって、幻聴(特に幻声)があれば、それを主な根拠に統合失調症と診断し、薬を出す、という医師は今でも珍しくないと思います。

それでよいでしょうか。

幻聴は統合失調症以外の精神疾患を持つ人にも出現します。病的ではあるものの特定の診断名に結びつかない体験と考えるのが今日の精神科では主流でしょう。
しかしそれを超えて、幻聴があること自体は病気ではない、という考え方があります(Hearing Voices Networkが有名)。
実際、声が聞こえていても特に困っておらず精神科を受診しない人、というのが相当する存在すると考えられています。
そういう人は病気なのでしょうか。

答えはNoです。

実際、アメリカや日本で使用されている精神科の診断基準DSM5でも、幻覚や妄想があるだけでなく、そのせいで長期間生活機能(functioning)が損なわれていることを統合失調症の条件としています()。
誰も困っていなければ病気ではないのです。

では、困っている人は幻聴の何に困っているのでしょうか。
幻聴それ自体ではなくその内容です。ある意味、当然です。たとえば、パートナーがいること自体ではなく、パートナーの暴力に困っているのがDVです。これと似ています。

幻聴という体験はしばしばとても生々しいものです。現実の人の声よりリアルに聞こえることもあります。それがたとえば「世界中の人に謝れ」などと言えばどうでしょう。平然と聞き流すことは不可能です。影響されて外に飛び出していくのはむしろ自然でしょう。
問題は幻聴それ自体ではなく、その内容、否定的な内容にあります。

最近、次のような研究が発表されています。

Negative voice-content as a full mediator of a relation between childhood adversity and distress ensuing from hearing voices

幻聴の否定的な内容と、これまでトラウマインフォームドアプローチとの関係で触れてきたACE(子ども時代の有害な体験)の関係を調べた研究です。
その結果は

ACE→ 幻聴の否定的な内容→ 幻聴による苦痛

というつながりが認められました。

幻聴それ自体が問題ではなく、否定的な内容が問題であり、そこにはACEが関わっている…
となると必要なのはやはりトラウマインフォームドアプローチです。
これを踏まえて、声が聞こえる人への治療や支援について考えて行きます。

つづく

「長期間生活機能が損なわれていること」が診断基準に含まれているのは、よく考えると不思議なことです。

たとえば糖尿病の診断は検査結果(血糖値、HbA1cなど)によります。補助的に症状(口渇感など)が使われますが、生活機能などは含まれません。病気の診断というのはそういうものです。

しかも生活機能をその人の生活環境から切り離して評価することは本来できないはずです。

さらに言えば、もし「長期間生活機能が損なわれていること」が診断基準であるとすれば、統合失調症の人に必要なのはまず生活支援でしょう。幻覚妄想を治療して生活機能を回復させる、というのは仮にできるとしても遠回りの方法ではないでしょうか。

そう考えると、統合失調症は糖尿病のような通常の病気と同じ意味では病気とは言えないのではないか、という疑問が起きます。このことはその他の精神科の病気、精神障害にも言えることです。