つながる、ささえる、なおす

ゴールデンウィークですね。

クリニックちえのわは暦通り。という訳で、昨日から四連休をいただいています。休めるときには休む、私たちが大切にしていることです。

仕事から離れて過ごす時間は、振り返ったり俯瞰したりに適しています。

とりとめなく、私たちがしていること、クリニックちえのわにできることについて考えてみました。

「なおす」と「ささえる」

考えていると、色々な言葉が浮かびます。

医療機関である以上、まず
なおす(治す)」
ということがあります(注1)。

病前の状態に戻ることを期待して訪れる方、できるだけ健康でよりよい生活が送れることを願って通院する方、それに対して私たちが提供できるのは治療です。それは「なおす」働きと言えるでしょう(注2)。

しかし、私たちにできることはそれだけではありません。

例を挙げましょう。過労でうつになって受診した方にできることは何でしょう。

このような方に、うつ病に対する認知行動療法や薬物療法が必要な場合もありますが、それが何より必要なことではありません。

実際、特別な治療を行わなくとも、休職して療養するだけでうつから回復できることもあります。

私たちがまずできるのは、

  • 説明
    • 診断
    • 休職の必要性
    • 療養の仕方(必要ならご家族に対しても)
    • 回復後の復職プラン
  • 診断書の作成

そして、休職後〜復職前は

  • 傷病手当の診断書作成
  • 職場(産業医、人事、上司など)との調整

などです。

これらは「なおす」という積極的な介入とはニュアンスが異なります。回復するための環境を整える、という感じでしょうか。
これを
ささえる(支える)」
と言ってみます。
その人の生活を支える、療養を支える、という意味です。

つながる

「ささえる」ことの重要性についてはずっと考えて来ました。
しかし最近は、それよりもっと基本的なことがあるのではないかと思っています。
それは
つながる
ということです。

特に治療と呼べることはしていない人、困っていない訳でないが、差し迫った医療のニーズはない人。
その中には、数ヶ月に一度、いやもっと長くクリニックに姿を見せない、という人もいます。

以前はこういう人たちについて、それでいいのか、という思いがありました。もっと何かできるのではないか、何かしなければならないのではないか、と。
しかし最近、それはそれでいいのではないか、「つながっていること」がまず大切ではないか、と思うようになりました。

「つながり」も様々です。強いつながりと弱いつながり。太いつながりと細いつながり。
弱いつながりが強いつながりより価値が低い訳ではありません。弱いがゆえに価値がある、というつながりもあります。また、細くて強いつながり…細いつながりがずっと続いている、ということもあります。

考えてみると、「つながる」には、「ささえる」や「なおす」よりもよいところがあります。
一つは「つながる」ことは双方向的であることです。「ささえる」にも「支え合う」ということもありますし、ピアサポートの特徴もそこにありました。しかし、一方向的に支える-支えられるという関係に陥りがちですし、そのことで生まれる力関係は回復を妨げます。「なおす」にいたっては「治し合う」という言葉自体見かけません。

癒やし(healing)は本人と治療者を含むすべてのスタッフとの対等な関係の中で生じる、というのがトラウマインフォームドアプローチなのです。関係者全員が重要な役割を担っています。

ピアサポート、協働と相互性

もう一つは開かれていることです。

つながりは二者の関係で閉じてしまうことがありません。誰かとつながればそれはまた別の誰かにつながり、つながりは広がって行きます。

私たちのクリニックは一つの輪です。その一つの輪が他の輪、すなわち本人・家族(必ずしも血縁を意味しない親密な結びつき)、友人、ピアサポーター、そして他の支援者(専門職、非専門職問わず)とつながる、というイメージです。

「ちえのわ」の由来

まず「つながる」があり、その上に必要に応じて「ささえる」や「なおす」が現れるのではないでしょうか。「つながる」という双方向的で開かれた人と人との関係、それが原点であり、常にそこに立ち返ることが必要なのではないでしょうか。

クリニックちえのわは、つながれる場所でありたいと思いますし、つながりのハブ(交通結節点)のような役割が果たせれば、と考えています。

注1
「ケアする」という言葉もあります。世話する、気づかう、関心を持つ…ニュアンスを日本語にしづらい言葉です。「なおす」「ささえる」「つながる」に対して「ケアする」がどこに位置するのかは難しく、ここではあえてこの言葉を外しました。ただ、医療や介護で「ケアする」が使われるときはやはり一方向的な関係を意味しているように思います。

注2

「治す」ということには、こと精神医療については賛否両論あると思います。治らないものを治そうとすることの弊害(「角を矯めて牛を殺す」?)については言うまでもありません。「治る」とは何か、それについて医師として何ができるかできないか、患者さんとのやりとりの中で問い続けることが重要ではないかと思います。