ケアラー手帳 ーちえのわライブラリー 6

ちえのわライブラリーより、今回は『ケアラー手帳』(日本ケアラー連盟発行)を紹介します。

ケアラー手帳(下段中央)、マンタ(上段)

「ケアラー」とは見慣れない言葉かもしれません。

 

 

 

 

 

 

ケアラー=carerの文字通りの意味は「ケアする人」のことです。「ケアする」という言葉は広い範囲で使われますが、ここでは「世話する、介助する、介護する」という限定した意味です。

そして、ケアラーを用語として使うときは、医療職や介護職のように有償でケアを提供する人ではなく、家族や友人の立場で無償でケアを提供する人を指します。

ケアラーをこう捉えると、私たちの周りにはケアラーがたくさんいることに気づきます。

医療機関を訪れる方については特にそうです。患者さんに付き添うご家族はもちろん、患者さんご本人がケアラーであることもしばしばです。そして、患者さんの周辺には、医療機関を訪れないケアラーがおられます。

忘れられないケアラー

在宅医療や緩和ケアでは患者さんだけでなくご家族などのケアラーも含めて診る、という考え方があります。私がケアラー支援に関心を持つようになったのは、これらの分野に携わるようになったことが大きいです。

ただもう一つ、個人的な理由があります。

それは忘れられないケアラーの存在です。

20年ほど前のことです。ある認知症の患者さん(プロフィールは変更しています)を診ていました。娘さんと二人暮らしの方でした。

昼夜逆転になっていました。娘さんは日中工場で働いておられるのですが、夜間もゆっくりと休めず疲れ切っていました。そこで介護上のアドバイスに加えて少量の向精神薬を処方しました。

薬の効果があったのか、患者さんは、夜いくらか眠れるようになりました。それでも夜中に起き出してしまうことがあり、娘さんはぐっすり眠れるという訳には行かないようでした。昼間のお仕事があるので、寝不足になっていないか、もしそうなら薬をもう少し増やすこともできる、という話を何度かしましたが、以前に比べると全然いいです、このままで大丈夫です、というお返事でした。そこで気になりながらもそのまま様子を見ていました。

ある日、整形外科病棟で診察依頼がありました。四人部屋で術後の患者さん(整形外科は術後のせん妄で依頼が多い)を診察して退室しようとすると、手前のベッドの患者さんから声をかけられました。見ると、その娘さんではありませんか。

どうされたのですか、と尋ねると、仕事中の事故で大けがをした、とのことです。そのときどんなお話をしたかは憶えていません。ただ、もしかしたら寝不足で注意力が下がって事故が起きたのかもしれない、と思いました。

診察ではケアラーである娘さんに配慮していたことは確かです。しかし、お母さんを「主」とすれば娘さんは「従」という意識はなかったか、娘さんの側にも遠慮がなかったか、もっと丁寧に娘さんの状況を聞いておくべきだった、と悔いが残りました()。

娘さんの状況を聞いて薬を増量していればどうなっていたか。それは仮定の話なので分かりません。それより大事なことは、ご本人とケアラーを同じように尊重する、ということです。ケアラーはケアする人であると同時にケアが必要な人なのです。

『ケアラー手帳』

前置きが長くなりました。『ケアラー手帳』です。

ケアラー手帳紹介のチラシ

表紙には、

認知症の人を介護しているあなたのための

ケアラー手帳

そして

大切な人を介護しているあなたも大切な一人です

とあります。

このブックレットは、ケアラーの中でも、認知症の人のケアラーに向けて書かれています。

おおよその内容については目次をご覧下さい。

ここでは、認知症ケアラーへのメッセージ「認知症の人を介護しているあなたへ」を引用します。

  1. 一人でかかえこまないで介護仲間をつくろう。
  2. 自分をほめてあげよう。
  3. がんばりすぎない。
  4. 健康に気をつけ自分を大切に。
  5. 腹が立ってあたりまえ。
  6. 知識をもとう。
  7. 認知症を隠さない。

どの項目も、認知症に限らず、すべてのケアラーに当てはまります。

たとえば4の「健康に気をつけ自分を大切に」。

介護者あっての介護です。介護者が先に倒れてしまっては元も子もありません。まずは自分自身のことをいちばん大切にして、自分の人生を楽しむことを考えていきましょう。

自分の人生を楽しむ、大切な心構えだと思います。そしてその人生の一部として介護があり、介護を(つらいことがあっても、むしろそれも含めて)楽しむことができればよいのではないでしょうか。

クリニックちえのわはケアラー支援に力を入れて行きます。このブログでもケアラーについて書いていくつもりです。

当時は医師になってまだ5年ぐらいで色々な点で未熟でした。産業医学についての知識もなく、工場で働く人の安全衛生、という視点も持てていなかったと思います。