明石ともしび会でお話したこと 2

6月24日にあかしともしび会でお話した内容を、会報に載せていただいた要約に即してご紹介しています。

家族会の方々の関心に合わせて、薬物療法についての話が多くなりました。

6. 向精神薬は、症状を和らげる効果はあっても治す薬ではありません。副作用が少ないというふれこみの新しい薬が出ますが、実際にはそうでないことが多いです。たとえば非定型抗精神病薬は長期服用で寿命を縮めてしまいます。

心身両面のケアで次のように述べました。

早すぎる病死の原因となる心筋梗塞などの心臓病は、オランザピン(ジプレキサ)など抗精神病薬によるメタボリック症候群が関係しています。薬物療法を行う場合は、責任を持って薬のからだへの影響を評価することが医師に求められます

治療について、特に薬についての知識が医師には求められます。信頼できる知識のソースを持つこと(製薬会社のMRに頼るのではなく! MRとの面会、いたしません!を参照)、得た知識を鵜呑みにするのではなく批判的に吟味すること、つまり医師にも情報リテラシーが必要なのです。

7. 肺炎に対する抗菌薬のように根本治療ができる薬もありますが、精神科では今のところそのような薬はありません。

これは、医療者にとっては常識に属しますが、一般には知られていないかもしれません。強調しておいてよいでしょう。

新薬は次々にリリースされています。たとえばC型肝炎のように、新薬によって根治する割合が劇的に上がった病気もあります。しかし、精神科領域では今のところそのような薬はありません。将来的にも期待はできないと私は考えています。

8. 症状が悪化した際に薬が増加し、症状が安定しても、そのまま継続になり、次に悪化したときにさらに増える、というよう に、雪だるま式に薬が増えることがあります。

精神科病院で勤務していたとき、多剤(ポリファーマシー)になっている患者さんについて過去のカルテを調べたことがあります。そのときに思い至った仮説です。

これについて3点指摘しておきます。

  1. 病状が悪化したときに薬を増やす
  2. 病状が改善したとき薬を減らさない
  3. 時間の経過とともに多剤の理由が不明になる

第一に、そもそも病状悪化と見られた際に薬を増やす必要があったのか、という疑問があります。長期入院の患者さんでもよいときと悪いときがあります。一年の決まった時期に調子が悪い方もおられます。薬を増やさなくても、少し手厚いケアを提供すればその時期を乗り切れることも多いのです。

第二に、病状が改善したときに、何故薬を減らさないか、です。

精神科の医師は総じて薬を減らせることに慎重です。それは離脱症状のためもありますが、現状維持をよしとし、リスク回避を第一に考える傾向が背景にあるように思います。病状が悪化したときにそれを改善するために増やした薬をそのまま悪化の予防薬として引き続き使って行くのです。

しかしこの使い方にはおかしなところがあります。たとえば肺炎の治療薬である抗菌薬に肺炎の予防効果はありません。熱が出たときに使う解熱薬を発熱予防のために飲み続けるなどあり得ないでしょう。向精神薬も例外ではありません。治療のための処方と予防のための処方は別のことです。この区別が曖昧になっていることが多剤併用の一つの原因ではないでしょうか。

実際、前回ご紹介したWunderink研究によれば、抗精神病薬そのものの予防効果すら長期的には疑わしいのです。治療のために増えた薬をそのまま予防に使う、などはメリットより副作用によるデメリットの方が多いと思います。

そして第三に、主治医が交代することで多剤の理由が不明になってしまうことです。これは医療や医学とは無関係ですが、実際の問題として無視できません。

医師の転勤や患者さんの転院によって担当医が変わることがあります。処方内容について細かな引き継ぎや診療情報提供は通常はありません。このため、処方を見て多剤であってもその理由が分からないことがしばしばです。これが何度か繰り返されると、不可解な多剤処方になることがあります。

不可解な多剤処方に見えてもそれなりの理由がある、と中井久夫氏の文章にあった記憶があります。確かに「理由」はあるでしょう。しかしその理由は上記のような不合理なものであることが多いですし、ましてや何人もの医師が交代して薬を追加した「合作の雪だるま」的な処方もあります。そうなると、どの薬がどのような目的で処方されたのか、有効であったのか、もはや分からなくなります。中井氏を鵜呑みにはできず、不可解な多剤併用は不合理であることが大半ではないかと思います。

つづく