世界で二番目の美人(2006)

これも20年ぐらい前の話です。

背景を少し説明します。

私は当時、主に女性の長期入院患者さんを担当していました。

彼女たちにとって、病院は治療するところではなく、もはや住み処でした。作業療法をする人もいましたが、それ以外の治療としては薬を服用するぐらいでした。その薬も効いているのかどうかよく分りません。

その病院では、退院に向けた取り組みもすでに行われていましたが、それでも残る患者さんは多くいます。「一生病院にいる。」と言う人も少なくありません。本音なのか、本当にそれでいいのか、と思いながら患者さんと関わる日々でした。

そんな中でも、アパート退院できる患者さんがいました。

そういう人が何人か出ると、「自分も退院してみようかな。」と言い始める人が出ます。たとえば、退院した人が外来日に病棟に遊びに来たりします。そういう人を見て、話を聞いて、自分もできるんじゃないか、と思うようです。医療者には見えていない、患者さん同士のネットワークの力です。

いつもベッドで寝ている人が「退院しようかな。」といきなりつぶやいたときは驚きました。「一生病院にいる。」と言っていた人が、退院してしばらくすると「二度と入院したくない。」と言うこともありました。

病棟で見る患者さんの姿、それは「無為自閉」と言われたりしますが、医師や看護師である自分たちに、本当にその姿が見えているのか、と疑問になりました。長く入院している患者さんも、見た目のようには「無為」でも「自閉」でもないのではないか、そして豊かな可能性を持つ存在なのではないか、今では私はそう思っています。

前置きが長くなりました。今回はちょっと愉快な「妄想」を持っていた患者さんの話です。


アパート退院を目指していた人。仮にEさんとしておく。
Eさんの入院生活は数十年になっていた。
病名は「統合失調症」。

Eさんは不安が強くて自信を持てない人。
だが、思春期に発病するまではとても積極的だったという。
今のようになったのは病気のためもあるだろう。
しかし、思春期に発病して以来、入退院を繰り返し、
そのうち病院しか居場所がなくなってしまったことが大きい。

そんなEさんが自分からアパート退院したい、と言い出した。
アパート退院した仲間に刺激を受けたということがあっただろう。
しかし、Eさんのキャラクターを考えると大したことだ。
ここは全力でフォローする一手だ。

Eさんに一人暮らしの経験はない。
そこで退院に先立って、以前看護師の宿泊に使っていた病院敷地内の家で、
寝泊まりして予行演習することになった。

はじめのうちは、衣食住の一つ一つが自信なげで、立ち往生することもあった。
しかし、僕はEさんはけっこうできる人だと思っていた。
だから何とかなるだろう、と思っていた。
実際、ときどき僕たちスタッフがフォローすることはあったが、
何とかなって行った。Eさんも自信をつけて行った
そしてアパートも決まり、退院が日程に上ってきた。

そんなある日、これからの不安について話し合っていたときのこと。

Eさんが、銭湯に行けない、と言う。

どういうところが難しいのか、と聞くと、
「世界で二番目だから。」と言う。
唐突なので、「えっ?何の二番目?」と聞き返すと、
「世界で二番目の美人だから。」

その人は少なくとも美人の部類ではないし、たとえ美人であっても、
「世界で二番目」と考えるのは不思議。

精神医学的には「妄想」と言うべきだろう。
しかし、この「妄想」、とてもよくできているのではないだろうか。
自分が美人、と思っていることは精神的な支えになるだろう。
でも、「世界で一番」だったら、相当なストレスだろう。
二番目ということは、一番は他にいる訳である。
自分より美人と思った人については
「この人が一番。」
と思っておけばいいわけである。
この「妄想」は彼女が生きて行く上で必要なものになっているのかもしれない。

「一番の人はどうしてる?」と聞いてみた。
「風呂つきのマンションに住んでいる。」
と言う。
Eさんは、障害年金(1級)でやりくりすることになっていて、
高い家賃は払えない。
だから市内で「一番」のマンションやアパートは無理なので、
何番目か分からないが風呂なしのアパートになる。
そういう話をして話を終えた。

席を立つとき、いっしょにいた若い看護師が、
「一番は自分だからね。」
と笑いながら言った。

Eさんは無事アパート退院した。
銭湯は最初のうちは訪問看護師が一緒に行ったが、そのうち一人で行けるようになった。