ぼちぼちいこか ー ちえのわライブラリー 1

ちえのわライブラリーの紹介です。

第一回はもちろんカバ…じゃなくて

『ぼちぼちいこか』(マイク・セイラー作、ロバート・グロスマン絵、今江祥智訳、偕成社刊)

主人公のカバくん。からだが大き過ぎて、消防士にも船乗りにもなれません。何をやってもうまく行かないカバくんが行き着いたのは…。

最後のページにホッとする絵本です。

 

 

 

 

 

 

連想するのは中国の古典『荘子』に出て来る恵子と荘子の対話。
現代語訳で引用します。

恵子(戦国時代の名家の思想家)が荘子(戦国時代の思想家、本書の作者)に向かって、「私の所に大木があって、人々はこれを樗(ちょ)と呼んでいる。太い根本は節くれ立って墨縄の当てようがなく、小枝はかがまってコンパス・定規にかからない。道端に立っているのだが、通りかかる大工は振り向きもしない。さて、あなたの学説だが、大きいばかりで役に立たず、大衆の誰一人として振り向かない代物ですな。」

荘子が応じて、「君もきっと狸狌(りせい)を見たことがあるだろう。地に伏せて低く身構え、出歩く獲物を窺い、それを追って東に西に跳ね回り、木の上、穴の下を物ともしないが、最後は罠にはまるか、網にかかって死んでしまう。ところが、あの牛は、大きさが天空深く垂れこめた雲のよう。これにできる能と言えば、ただ大きいだけで、鼠一匹も取るではない。ところで、君はそんな大木を持ちながら、役に立たないと悩んでいる。万物の根源たる虚無の村里、果てしなく広がる実在の荒野にこれを植えて、その傍らでぶらぶらと無為に過ごし、その下でゆうゆうと昼寝でもされてはどうだろう。斧・斤で伐られもせず、凶害を加える物もないのだから、いかに役立たずであっても、何の困ることもあるまい。」

何かの役に立つってそんなに大事なことなのか、少なくとも何より大事なことではないんじゃないか、そんなことを考えます。