ザラザラした現実を生きるー トラウマインフォームドアプローチと生活保護(後半)

前半から続きます。

トラウマインフォームドである 必要性

時計の針を進め、私が現在の場所である医療 現場で出会う生活保護利用者について話そう。 駅から近い医師 1 人のクリニックで私は働いている。クリニックがカバーするのは、 精神科外来と在宅医療(高齢者、緩和ケア、精神科)だが、受け入れの間口は広くしており、特に専門性は謳っていない。自身の専門性より地域、市民のニーズを優先したい、というのが私の医師としての基本姿勢だからだ。なので、患者層は地域の精神医療ニーズをおおむね反映していると思うが、その多くにトラ ウマ体験がある。一方で、ADHDやASD と いう発達特性を持つ人も多い。これらが多重に 複雑に絡まり合うことで困難な生活を強いられる。その困難には当然経済的困難もあり、生活保護利用者も少なくない。 イメージしやすいように仮想ケースを挙げる。

ケース 1
子ども時代に面前 DVと性虐待を経験、一時保護され児童養護施設に入所。高校卒業で施設から出て、働きながらアパート生活を始めた。しかし仕事が続かず、生活保護利用を開始した。

ケース 2
夫のDVから逃れて子どもを連れてシェル ターに入所した。親子ともに発達障害があり、 生活保護に加えて医療、福祉、療育のサービスを利用している。

ケース 3
仕事が続かず、アルコール問題もあり、親族と絶縁状態となり生活保護利用。担当者から就労を勧められ短時間の仕事に就くが、上司から の強い指導で体調不良となる。受診をきっかけ に発達障害(ASD と ADHD)が背景にあること がわかった。

ケース 4
夫の借金問題で離婚、幼い子どもをかかえて 働きながら生活保護を利用。夫の連帯保証人として借金があることを申請時に申告したが自己 破産を勧められることはなく、保護費から返済に当てた。後年そのことで不正受給とされて返済を求められる。裁判を起こし勝訴したものの、それを機に生活保護を自ら中止。仕事を増やして何とか生活しているが、心身ともに疲弊している。

個人が特定できないように変更しているが、すべて実在の患者がモデルである。 私にとっては日々の臨床で出会ういわば「どこにでもいる人」である。精神科を受診する生 活保護利用者の典型的ケースと言ってよい。彼らの多くに多重トラウマがあり、ACEs(小児期逆境体験)がある。DV 被害女性(ケース 2、4)は、DV 家庭に育ったり、養育者からの 虐待を経験していたり、ということが珍しくな い。アルコール問題(ケース 3)の背景にはかつて言われた「機能不全家族」がよく見られる が、さらに発達障害(ASD、ADHD)が隠れていることもある。発達障害者は子ども時代の大人からの叱責や子ども間でのいじめにより、低 い自己評価と、アタッチメントやトラウマの問題をかかえていることが多い。

そうであれば、生活保護利用者へのかかわり はとりわけ、トラウマインフォームドでなければ ならない。

さて、私の診療の場であるクリニックちえの わは 2017 年の設立時からトラウマインフォー ムドアプローチ(TIA)の実装をミッションと してきた。その後、著名な専門家が取り上げることで、トラウマインフォームドという言葉は 普及してきた。屋上屋を架すことを避けるた め、TIA 全般については述べない。以下では私が TIA で重視していることを生活保護利用者へのかかわりに即して述べる。

まず、対等な「人」として出会い、遇すること。この仕事を始めて驚いたことがある。「生まれて初めて人として扱ってもらえた」と何人もの人に言われたことだ。私は何も特別なことはしていない。「ふつうに」接しているだけだ。 しかし、この「ふつう」、人として対等な関係 こそ彼らにとって得難いものであった、ということだろう。米国の SAMHSA のガイダンス*にあるように、ある出来事がトラウマ体験とな るのはそこに“power diffential”(力の格差)が 存在するからだ。特に対人暴力の被害者は無力感、恥辱、罪悪感(自分を責める)などを抱かされ、そのことが重いメンタル不全へとつながる。

そしてこの個々の力の格差の根拠には、親と 子、教師と生徒、上司と部下、男性と女性、医師と患者、支援者と被支援者などの社会的な力の格差がある。

メンタル不全や生活困難に至る原因にも対人暴力があり、その後、支援を受けることでさらに対人暴力にさらされる、というのが彼らの多くが経験のすることだ。生活保護利用者の場合はさらに「世間の目」が加わる。生活保護利用者に対するネガティブなステレオタイプ、それに基づくバッシング。そうであれば、彼らに出 会った私たちにとってすべてに先立つのは、対 等な人として遇することであろう。

次に、人として遇することの延長上にあるが、本人の声を聞く、ということである。力の格差の下で、客体化され無力化された人が、力を取り戻し、主体として生きていくこと、それが治療者や支援者が当事者と共に目指すべきことだ。そのためには、本人の声を聞き、それに 応答することが求められる。その逆、父権的ま たは母権的に当事者抜きで決定したり管理したりすることを警戒しなければならない。

そして最後に連携である。

生活保護利用者には多くの人が関わっている。生活保護担当者は言うまでもなく、医師、 看護師、ホームヘルパー、相談支援員、児童相談所職員、弁護士、教師など、さまざまな立場、職種の人々が彼らと彼らの家族にかかわる。しかしともすれば、それら関係者は互いに何をしているか知らず、その存在すら知らないこともある。関係者の顔の見える連携が必要だ。その際 TIA の視点で重要なのは関係者と当事者、そ して関係者同士も対等であることだ。その対等 なつながりの中で、関係者は「治療者でなくと も治療的であることができる(one does not have to be a therapist to be therapeutic)」** のだ。

クリニックの医師として、私が生活保護制度 について日頃思っていることを述べたい。 私は生活保護は積極的に利用すべき制度だと考えている。言うまでもなく、それは憲法 25条で保障された権利である。生活困窮者が生き延びるために必要な支援のうちでも最もベー シックであり普遍的な支援である。

しかし日本の生活保護制度の運用のされ方は 生活困窮者にとって過酷と言っていい。 捕捉率の低さ、利用のハードルの高さ、利用者への圧力など。利用者についてのネガティブなイ メージはスティグマとなり、社会的排除を促進する。厄介なのはこのイメージを利用者自身も 内在化させていることだ。生活保護を利用して いることを卑下していたり罪悪感を持ったりす る人は少なくない。「情けない」「申し訳ない」「迷惑をかけている」という言葉をしばしば聞く。

私はそういう人たちに、生活保護は権利であることを話す。生活を立て直し自立を目指す手段であり、セーフティネットやスプリングボードであることを話す。

医師には影響力がある。影響力は力の格差によるもので両刃の剣であるが、患者にそう話すことの効果はあると思う。とはいえ、他の関係者が生活保護について否定的に話せば効果は減殺される。関係者すべてが生活保護についての理解を持つ必要がある。
特に行政の生活保護担当者にはそうあってほしい。

彼らの本来の役割は、自立に向けて利用者を支援していくことであるはずだ。しかし、現実はそうなっていない。例外であってほしいが、 無理な就労を促したり、就労したばかりの利用者に生活保護打ち切りをほのめかしたりする。 それは利用者の力を奪い、むしろ自立を阻害しているように見える。
現状を見るにつけ、生活保護担当者は支援者ではなく、生活保護費の管理者であり、保護費 をいかに少なくするかが第一の関心事ではないかとすら見える。そのため、利用者の自立も生 活保護離脱に矮小化されがちだ。そうではなく、自立とは何よりも力を取り戻すことだ。主体として自由に生きることだ。決して「迷惑を かけない」ことではない。「互いに迷惑をかけ 合いながら」社会の一員として生きることだ。 あえて言えば、生活保護離脱は自立の必要条件でも十分条件でもない。生活保護担当者には、 改めて自立とは何かを考えてほしいし、それに基づいた支援をおこなってほしい。

とはいえ、問題は担当者個々人にあるのではない。担当者が 100 以上の世帯にかかわって いたり、非正規化されていたり、という組織の 問題がある***。とても支援ができる状況ではな いのかもしれない。そして彼らもまた組織と利用者の間で傷ついているのだろう。TIA は彼 らのためにもある。彼らもまた人として遇され ること、具体的には労働条件が改善され、十分 なサポートを受けることを期待したい****。そして彼らが支援者として、TIA の連携の輪に入ることができれば、生活保護利用者にとって大きな力となるだろう。

生活保護利用者とかかわる中で、彼らの多重 トラウマ、さまざまな生活上の困難を知れば知るほど、自分のできることの少なさを痛感し、 無力感をおぼえることがある。
しかし、ここが自分の生きる場所、現実である、という実感がある。中学生の頃のツルツルした現実感のない場所から、このザラザラした場所に戻って来ることができてよかったと思 う。自分の役割を果たしながら、ここで生きて行きたい。

「我々はツルツル滑る氷の上に入り込んだのだ。そこには摩擦がない。だからある意味で条件は理想的である。しかし、まさにそのために前に進めないのだ。我々は前に進みたい。だから 摩擦 が必要なのだ。ザラザラとした大地に戻れ!」

ウィトゲンシュタイン(鬼界彰夫訳)『哲学探究』


*”SAMHSA’s Concept of Trauma and Guidance for aTrauma-informed Approach”はWeb上で読める。亀岡智美 氏らの翻訳がある(ただし残念ながらやや雑で明らかな誤訳もある)他、クリニックちえのわのサイトでも解説し ている。

**SAMHSA のガイダンスに引かれているFord 氏の言 葉。

***なお、性暴力被害者である女性利用者宅を男性担当者が単独訪問することがしばしばある。利用者が女性職員の同行など配慮を求めてもたいていは聞き入られない。こ れも組織の問題であろう。

****生活保護制度については国、自治体のレベルで改革 が必要だ。鍵を握るのは当事者(利用者、利用経験者)の 参加だと思う。実際、小田原市ではそれが行われた。