雑誌『精神看護』に掲載された文章がオリジナルですが、縁あって『面会交流と共同親権ー当事者の声と海外の法制度』(明石書店)に収録していただきました。
離婚後面会交流原則実施という近年の裁判所の方針が、DV被害親子に大きな負担となっていること、それどころか、面会交流を通じてDVが継続される場合があることを多くの方に知っていただきたいと思います。
このことは現在法制審議会で審議中の離婚後共同親権制度を考える際にも重要です。私自身は共同親権を義務づけることに反対です。今回取り上げたBさんC君親子のようなケースをまず念頭に置くからです。
子どもは差別されている
「子どもは差別されている」と思ったことはあるだろうか。
性別・人種・身体・行動などで多数派と異なる特徴を持つことで、人は対等に扱われなかったり、声が聞かれなかったり、果ては生きることが脅かされたりする。私たちは皆、ある意味で多数派であり、別の意味で少数派である。多数派として力を行使し、少数派として他者にコントロールされる。意識するしないにかかわらず私たちは差別の中で生きている。
大人と子どもの関係はどうだろう。
子どもが差別されている、という考えが明示的に語られるようになったのは比較的新しく、20世紀後半になってからである。子どもを権利を持つ主体と認めその人権を尊重することをうたう子どもの権利条約が採択されたのは1989年である。21世紀になり、子ども差別についてのモノグラフが発刊され(*1*)、国際団体Childism Instituteも立ち上がった。
子ども差別とトラウマ
確かに子どもは無力かもしれない。大人の助けが子どもには必要だ。だが、子どもは無力化されているとも言える。
子どもと接していると、私たち大人が思う以上に考えていることが分かるし、その洞察と知恵に驚くことがある。しかし子どもはそれを言う機会がないか、言っても聞かれないことが多い。
さらに子どもはトラウマ体験にさらされやすい。小児期逆境体験(ACEs)である。トラウマのあるところにはパワーの不均衡がある。大人と子どものパワーの不均衡は子ども差別を生む。
DV被害親子のケース
Bさんは全身倦怠感を訴えて私たちを訪れた。直接の原因は職場のハラスメントだったがそれだけではなかった。現在は再婚して平和な家庭を築いているものの、彼女にはDVによる離婚の経験がある。その影響は明らかだった。トラウマが重なるにつれてトラウマ症状は複雑で重篤になっていくのだ。しかもBさんは前夫から子の面会交流を求められており、恐怖を感じていた。DVは過ぎ去ってはいない。
子のC君は小学生になっていたが、幼児期に父に連れ去られた経験がある。
面会交流をめぐってはすでにC君についての意見書が裁判所に提出されていた。C君には多くのPTSD症状があり、父との面会によりPTSD発症の可能性がある、という趣旨で、かなり慎重な書きぶりではあるが、面前DVに加え連れ去りという虐待を経験したC君にとって面会交流が有害であることを主張していた。
CAPS(PTSD臨床診断面接尺度)の結果が添えられた子どものトラウマ分野で名のある専門医による意見書であり、十分な客観性と妥当性がある。私にはそれだけで面会交流を行わない根拠になると思えたが、さらに担当弁護士から面会交流が母のBさんに与える影響についての意見書を依頼された。すでにこの間の交渉でBさんのPTSDは悪化しており、今後面会が行われるなら治療がより困難になる、という趣旨の意見書を私は作成し、裁判所に提出した。
しかしそれでも裁判所は月1回の面会交流をBさんに命じた。
離婚後面会交流の問題点
ここで離婚後の面会交流、特にDVによる離婚の場合について述べておく。
夫から妻へのDVが原因で離婚となった場合、それまでの養育実績に基づいて母親に親権が与えられることが多い。その場合加害親である父親と子との面会交流が検討される。
協議離婚の場合、問題が生じることは少ない。離婚後も非親権者の親と子との交流は当たり前にあるし元夫婦の交流があることも珍しくない。
しかし離婚に裁判所が関与するのは多くがDVのケースである。
この場合、2つの問題がある。
まず、被害親だけでなく子もDV被害者である。2004年に児童虐待防止法改正で虐待の類型として定められた面前DV (「児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力」)である。
もう一つは面会交流が加害親が被害親と子に干渉する機会になることである。
弁護士の長谷川京子は「加害者は支配から利益を得、「強い俺」に陶酔しているので、離別でDVは終わらない。」「面会接触は、加害者に復縁強要、もしくは報復の格好の機会として濫用される。」と言う。(*2)
Bさんは再婚しているため、親子への加害親の攻撃からは守られている。しかし、シングルマザーのケースでは執拗な干渉が見られることがある。養育方針についてことさらにクレームをつけ、母親失格の烙印を押し、改めて親権を争うことをほのめかしさえする。離婚後も支配関係は続いており、被害親の大きなストレスとなっていることは珍しくない。面会交流が続く限り支配から逃れることができないという印象がある。
これらの問題を踏まえるなら、DVのケースでは被害親と子に及ぼす影響を考えて面会交流の是非を個別に判断すべきであろう。
しかし実際にはそうなっていない。まず裁判所は「面会交流は子の健全育成に有益なもの」という面会交流原則実施論を取る。その例外として子の利益にならない「特段の事情」として、DVなどによる子への悪影響を挙げているが、実際にこれらの事情が認められることは少ない。長谷川によると、裁判所は「面会を制限しなければならないほどの例外事由としてのDVが存在したという事実を、監護親の主張立証責任にしている。それで監護親がDVの事実を訴えても、客観的証拠がないとか、身体的暴力が軽度だとか、頻繁でないなどと過小評価したうえ、面会交流を制限すべきDVが認められないとして、面会を命じている。」(*3)精神的暴力・性的暴力・経済的暴力などが過小評価されている上、これらは被害親からは立証困難なのだ。
ケース続き − 面会交流
裁判所が面会交流を命じた後、加害親からC君に手紙が来た。しかしC君は読むのを拒否し、そのまま面会交流の日を迎えた。
面会場所には母と義父、弁護士に加えて面会交流支援団体のメンバーが同行した。
C君は父親と会う前に泣き出したが、意思を直接伝えるべきだと支援団体のメンバーに言われ、面会交流が始まった。冒頭でC君は何とか小声で「会いたくない」と言ったが、加害親は「分かっている」と言った上で一方的に喋り続けた。
面会を終えたC君は会いたくない意思を伝えたので二度と会わなくてよいと思ったが、そうではなかった。拒否の意思表示が不明瞭だったので改めてはっきり伝えることが必要、と弁護士は判断し、伝えるための練習をするように求めた。
私はBさんとC君にとって二次被害にならないかと恐れた。実際、この練習を傍らで見ていたBさんは体調を崩した。
練習の成果なのかどうか、次の面会交流でC君は「もう会いたくないです。帰ってもいいですか。」とはっきり言った。相手が黙っているのでC君は席を立った。C君はそのまま走って逃げたが、支援者が追いかけて後ろから捕まえた。支援団体はミッションとして「子どもが安心して安全に面会交流が行われるようサポートする」と掲げているのでこの行動に私は疑問を持った。
これを最後に現在まで面会交流は行われていない。C君の意思が尊重されたからではない。加害親が新型コロナウィルスを恐れて面会交流をキャンセルしているからだ。C君は言葉と行動ではっきりと拒否したので面会交流はもうないと思っているが、加害親が求めれば面会は再開される。「いつまで続くのだろう、という気持ちがいつもどこかにある。」とBさんは言う。
聞かれない子どもの声
子どもの意思はこれほどまでに無視されるのか、この間BさんとC君の主治医として関わった私は驚きと怒りを感じる。
面会交流は子どものためになると裁判所は考えている。支援団体も同じだ。しかし一概に言えるのか。子が加害親を拒んでいてもそうなのか。そもそも子どもは自分が関係を持ちたくない相手を拒むことはできないのだろうか。
Bさんは裁判所の命令がある以上、面会交流を止めることはできない。加害親は子の意思表示を無視しているし、子どもの側に立つはずの弁護士や支援者は意思表示を不十分だとしてさらなる要求をする。
子どもの権利条約第12条には「締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。」とある。
裁判所をはじめ大人たちはC君の意見を考慮したと言えるだろうか。そうは思えない。大人たちが子どものために行動していたとしても、子どもの意見を尊重しないのであれば、子ども差別である。私はそう考える。
子どもの声を聞く
ではどうすればC君の意見は尊重されるのか。鍵となるのはアドボカシーだろう。
堀正嗣によれば、アドボカシーとは「権利を侵害されている当事者のために声を上げること」であり、イギリスなどでは子どもアドボカシーは「子どものマイクになること」「子どもの声を運ぶこと」「子どもの声を持ち上げること」と説明されているという(*3)。
子どもアドボカシーは子どものいるところではどこでも必要とされている。日本でもすでに児童養護施設などにアドボケートが入り、子どもの処遇改善に寄与している。今後、一時保護所や学校、里親のもとで暮らす子どもなどにアドボカシーは広がって行くことが期待される。
私はそこにC君のような子どもを加えたい。そして私自身、子どもの声を聴き、子どものために動く大人でありたい。
そのために私は医師としてDV被害者親子に関わり続ける。
*1 Elisabeth Young-Bruehl ”Childism” (2012) 英語で子ども差別は”adultism”または”childism”と言う。
*2長谷川京子「安全は最優先の子どもの利益」(梶村太市、長谷川京子、吉田容子『離婚後の子どもをどう守るか』2020)
*3同上
*4堀正嗣「アドボカシーとは何ですか?」(栄留里美、鳥海直美、堀正嗣、吉池毅志『アドボカシーってなに?』解放出版社2021)