トラウマインフォームドアプローチには決まった活動や手順はありません。6つの基本原理を守ることでトラウマインフォームドアプローチとなるのであり、それに基づく活動内容は、医療、教育、矯正など各領域ごとに定まります。
その6つの基本原理とは
- 安全
- 信頼性と透明性
- ピアサポート
- 協働と相互性
- エンパワメント、主張、選択
- 文化、歴史、ジェンダーの問題
です。
今回は「安全」について考えます。
安全(Safety)
SAMHSAのガイダンス(PDF)には、「トラウマインフォームドなサービスを提供する組織では、スタッフとサービスの受け手は、大人であれ子どもであれ、からだもこころも安全に感じる」とあります。すなわち、安全な物理的環境と安心感を持てる関わりを提供します。
そして
Understanding safety as defined by those served is a high priority.
その安全は、サービスの受け手から見た安全であることが強調されています。
ここで連想するのは、医療現場で見られるリスク回避の考え方です。近年、それが行き過ぎているように感じるのは私だけではないと思います。
リスク回避のための身体拘束、リスク回避のための隔離、リスク回避のための行動制限、リスク回避のための薬の処方…
それは意識的・無意識的に「安全」を目的に行われますが、疑問の余地が大いにあります。一体誰にとっての安全なのか、と。
かつてこんな患者さんに出会いました。仮にAさんとします。精神科病院に入院中に転倒して大腿骨骨折で転院して来た患者さんです。
Aさんは認知症のBPSD(行動心理症状:この用語には批判もあります)が理由で精神科病院入院となったのですが、いまやよく知られているように、こういう方は、徘徊とそれによる転倒を防止するなどの名目でベッド上に身体拘束されることがしばしばあります。
Aさんもそうでした。おそらく身体拘束している間に向精神薬の点滴などを行って「穏やかに」なったのでしょう。拘束が解かれたのですが、高齢者はしばらく動かないでいると筋力が大きく低下します。これを廃用症候群と言ったり最近の言葉ではサルコペニアと言ったりします。元々歩行障害のなかったAさんですが、ベッドから起きて歩けなくなりました。
さてAさんは「早く退院したい」と言ったそうです。当然の要求です。それに対する主治医の返答は「歩けるようになってから」でした。
そこでAさんは自ら歩く練習をしようとベッドから降りて歩き始め…そして転倒しました(注)。
骨折にはこういう経緯があったのです。「安全」のための身体拘束が結果として骨折という事故を惹き起したと言えるでしょう。これは決して結果論ではありません。
身体拘束には直接的間接的に様々な合併症があることが知られています。たとえばニュージーランドの若者が日本の精神科病院で亡くなった事件も身体拘束による血栓塞栓症(血が固まりやすくなり肺血管に詰まって肺梗塞が起きた)が疑われています。
日本の精神科病院で外国人男性が急死 身体拘束の影響か(BuzzFeed NEWS)
「安全」のための身体拘束は果たして、拘束される患者さんの側から見て「安全」と言えるのでしょうか。それは医療者の側の「安全」、あるいはむしろ、主観的な「安心」のためではないでしょうか。
身体拘束について今回はこれ以上に論じませんが、ここで言いたいことは、患者さんのためと言いながら実は医療者のため、本人(サービスの受け手)のためと言いながら支援者のため、ということがリスク回避にはありがちということです。このために過剰な介入が行われ、結果としてサービスの受け手にとっては危険を増している、ということが起こってしまいます。
それゆえ
Understanding safety as defined by those served is a high priority.
という文には重みがあります。
本人にとっての安全と、病院などの組織にとってのリスク回避は同じではなく、それどころか相反することもしばしばです。このことを常に意識していたいものです。
Aさんのその後です。人工骨頭置換術が行われ術後のリハビリをして元の病院に戻られました。転倒の原因には向精神薬もあると考え、入院中に減薬しましたが、特にトラブルはありませんでした。
しかしこれで「めでたしめでたし」とはならなかったのです。
数ヶ月後、入院先でまた転倒して骨折した、とのことで戻って来られました。向精神薬も元の量に戻っていました。
転倒して大腿骨骨折することで寝たきりになる方もおられます。そして大腿骨骨折は余命を縮めることも知られています。一体何をしているのか、と暗澹たる気持ちになったことを憶えています。