パニック障害のお話の2回目です。
前回はパニック発作について説明しました。
パニック発作自体は、3人に1人が生涯に一度は経験します。かく言う私も経験しました。
パニック発作はそもそも無害ですし、問題はそこにはありません。
問題は
- 発作が繰り返し起こること
- 発作が起こることを怖れること
- 発作を怖れて(電車に乗れないなど)生活に支障が出ること
主にこの3つです。
1と2をパニック障害(パニック症)、3を広場恐怖と言います。
今回はこれらが起こるしくみを考えてみます。
まず1と2は相互に関連しています。
繰り返し発作が起これば、また発作が起こるんじゃないか、という不安(予期不安と言います)は強くなります。
その予期不安がもとで、発作が起こりやすくなります。発作が発作を引き起こす、という悪循環です。
この悪循環について詳しく見てみましょう。
破局的思考
パニック発作を恐れるのは、
「心臓が止まるんじゃないか」
「息ができなくなるんじゃないか」
「どうにかなってしまうんじゃないか」
など最悪の事態を思ってしまうからです。実際には起きないことですが、パニック発作を体験した人がそう考えるのはむしろ自然です。これを破局的思考と言います。
破局的思考に支配されると、発作は絶対に起こってはならない、と思うでしょう。そのために発作の兆しはないか、常にからだに注意を向けることになります。
たとえば満員電車でちょっと息苦しく感じることはあると思います。普通はやり過ごせるでしょうし気にも留めないかもしれません。
しかしパニック障害の人にとって息苦しさはパニック発作の予兆であり、「息ができなくなる」という破局につながっています。ごく軽い息苦しさでも気づくでしょうし、気づくとひどく不安になります。するとその不安からはっきりと息苦しくなり、さらに不安になり…と悪循環が起こり、不安がエスカレートします。
その結果、パニック発作が起こってしまいます。
すると「やっぱり起こった」と裏付けを得て予期不安はいっそう強まります。発作が起こることをいよいよ恐れるようになるのです。ここにも悪循環があります。
この悪循環、不安が不安を呼ぶメカニズムがパニック障害の本体です。
広場恐怖
さて、満員電車で発作が起きたとします。
パニック障害の人は、その場から逃れようとします。そこで満員電車から何とか降ります。そして発作は治まります。
降りることで不安が下がったからかもしれません。いや、パニック発作は放っておいても治まるものなので、たまたま自然に治まったのかもしれません。いずれにせよ「電車を降りたから発作が治まった」と考えるようになります。ある行動の結果不安が下がるとき、それを安全行動と言います。電車を降りる、というのは安全行動の一種です。
不安への対処としてもう一つ回避があります。これは「ピンクのカバのことだけは考えないで下さい」で説明しました。考えないようにする、気をそらす、嫌なことを避けることです。
安全行動と回避は不安に対する自然な対処法です。しかしパニック発作に対してはうまく行きません。
この場合で言うと、電車に乗ることが難しくなります。
たとえば、各駅停車は乗れても急行や新幹線は乗れない、ということになります。電車を降りる、という安全行動が取れない、と考えることで不安が増す訳です。または「電車を降りられる」と考える(頭の中の)安全行動が取れない、とも言えます。
さらに進むと、各駅停車も乗れなくなります。電車に乗る、と考えるだけで不安になるため、乗ることそのものを回避する訳です。
そして安全行動や回避で対処していると、大本の不安は大きくなってしまいます。短期的にはうまく行く対処が長期的には問題を大きくする訳です。
こうしてパニック障害の人は
- 電車、バス、自動車
- 飛行機
- エレベーター
- 美容院、歯科
- 映画館
- 人ごみ
- スーパー
- 行列(レジに並ぶ、など)
- 自宅(一人でいる)
などを怖れるようになります。
これを広場恐怖(注)と言います。「逃れられない」または「助けを呼べない」と思わせる、というのがこれらの場所に共通しています。
パニック発作からパニック障害と広場恐怖に発展するしくみはお分かり頂けたでしょうか?
さて、パニック障害から回復するにはどうすればよいでしょうか。実は今回述べたことの中に答えが隠されています。
次回はパニック障害の治療についてお話しします。
エレベーターなどは「閉所恐怖」の方がふさわしいですが、すべてひっくるめて「広場恐怖」という言葉が使われています。