減薬について考えてみました 3ーエピソード1

減薬に関係する私の経験をいくつかご紹介します。

今回は20年以上前のエピソードです。

言い出しかねて

幻覚妄想状態で入院されたTさん(仮名)。後に「100人ぐらいの声が聞こえていた」と振り返っておられたようなただならぬ状態だったのですが、ご自身は病気であることを否定し、一度は病院から飛び出して自宅に戻る、ということもありました。そのとき私は自宅に出向いて説得して一緒に病院に帰りました。その頃から信頼関係ができたと思います。
退院してしばらく経った頃。ハロペリドール3mgぐらいの処方だったでしょうか。当時私は、急性期から回復した患者さんにはそのくらいの量を処方していた記憶があります(注1)。

さて、その病院ではルーティンとしてハロペリドール血中濃度を測定していました(注2)。
あるとき、血中濃度が「..以下」という結果が出ました。これは検出限界以下、ということです。この方の場合、これまでのデータと比較して、薬を飲まなくなったのではないか、と思いました。
そして診察の日が来ました。私はそのことが気になりながら、口に出すことができませんでした。口に出すとそれまでに築いて来た(と思っていた)信頼関係が崩れてしまうような気がしたのです。
それからしばらくその人の診察は苦痛でした。特に、飲んでいないのではないか、と思いながら薬を処方することに。
嘘や秘密がある人間関係がつらいのは医師患者関係も同じです。

2,3ヶ月経ったでしょうか。ある日の診察で、Tさんから「実はしばらく前から薬を飲んでません。」と告げられました。
そのときのホッとした気持ちは今でも憶えています。まず口をついたのは「言ってくれてありがとう。」でした。そして薬を飲んでいないのではないかと疑いながらそれを言えなかったことを謝りました。
その後に、再発のリスクが増えること、それを見越してストレスを軽減すること、再発にはできるだけ早く対応すること、などをお話したと思います。

Tさんはデイケアを経て再就労しましたが、自身の障害を受け入れ、自分のペースを守り無理しない、というTさんの生き方は安心して見ていられました。

Tさんとは私が転勤するまでの付き合いでしたが、その間でうれしかったことは2つあります。一つはTさんがあるとき「病気になってよかった」と言ったこと、そこに至るまでの苦労を知っているだけに、この言葉はとても重いものでした。もう一つはパートナーが妊娠した場合の服薬について相談を受けたことでした(注3)。服薬の必要性と有害性について、彼が真剣に考えていることが分かりました。

このエピソードで私が学んだことは

  • 急性期から回復後の服薬は必須という訳ではない
  • 処方しっ放しではなく、医師と患者の協同作業で服薬のモニターをして見直していく
  • 患者が自己判断で減薬・断薬することがある。それは一概に悪いことではない。そのときに新たに医師患者関係を作り直せばよい

そして、

患者は病気や障害を持って生きることで成長していく、それによって主治医も成長していく

ということでしょう。Tさんとの出会いに感謝しています。

注2

障害支援区分の意見書の「生活障害評価」に「服薬管理」という項目があります。

 

 

 

 

 

ここにある「薬物血中濃度モニター」に昔から疑問を持っています。「飲み忘れや、飲み方を間違えたり、拒薬、大量服薬する」人がいるとして、その人に必要なことは「薬物血中濃度モニター」なのでしょうか?

服薬について疑問があれば本人に尋ねればよいのではないでしょうか。もしそれができないとすると、それは本人の障害のためなのでしょうか。むしろ他のこと、たとえば医師患者関係のためではないでしょうか。

穿った見方かもしれませんが、精神障害を持つ人は自分で服薬管理ができない、だから医師が薬物血中濃度を測って管理しなければならない、と言わんばかりの記述に強い違和感を覚えます。

障害者権利条約〜障害者差別解消法の時代の障害観としてどうなのでしょう。見直されてもよいと思うのですが…。

注1

リスペリドンが日本で発売されたのは1996年。その前後の話です。当時は非定型抗精神病薬は使われておらず、ハロペリドールやクロールプロマジン、レボメプロマジンが抗精神病薬の主力でした。

ハロペリドール(など抗精神病薬)の血中濃度測定の意義は否定はしません。それが治療上役に立ったこともあります。しかし、患者さんの服薬(行動)を管理する目的に使うことには私は反対です。

注3

このことがきっかけで妊娠と服薬というテーマを意識するようになりました。