主治医はどこにいる? ー 医療介護連携での医師の役割

10月16日の午後、明石市医師会館で開かれた「在宅医療・介護連携推進研修会事例検討会」に参加しました。

「医療と介護に携わる専門職が一堂に介して事例検討をすることにより、医療と介護の連携の課題共有や、在宅で療養生活を送る利用者のよりよい支援につなげる」という趣旨で、医師、歯科医師、薬剤師、リハ職、看護師、ソーシャルワーカーなどで事例検討をする、という会でした。
参加者は30名ぐらい、医師は開業医、病院勤務医、認知症サポート医それぞれ1名ずつでした。私は認知症サポート医としての参加でした。

検討する事例は多系統萎縮症(MSA)を発症して3年ぐらいの人でした。認知症サポート医として依頼があって参加したため、てっきり認知症の人の事例検討だと思っていたので意表を突かれました。

しかも多系統萎縮症はよくある病気とは言い難く、私がすぐに思い浮かぶのも1人、以前に訪問診療で診ていた患者さんぐらいです。他の参加医師も脳神経内科医ではないので、私以上にこの病気についての知識は乏しいと思いますし、介護職も馴染みは薄いでしょう。

実際、議論を聞いていてもほとんどの方は「進行性の難病」というイメージぐらいのイメージのようです。
様々な意見が出たという意味では、よい検討会だったと思います。ただ、やはり参加者がMSAについての知識が乏しいことで、表面を撫でるような感じがありました。

症例提示を聞く限り、MSA-P(以前は黒質線条体変性症と呼ばれたパーキンソン症状が優勢なタイプ)のようです。歩行障害や自律神経症状などが表れ、発症して5年で車椅子、その後寝たきりになりおよそ10年ぐらいで亡くなる、という病気です。そのような経過(病気の軌跡 illness trajectory)について、参加者だけでなく、症例提示をしたケアマネや、おそらく患者さんご本人すらあいまいなのではないか、と疑問を持ちました。

討論の中で「ご家族も含めて主治医から説明を聞く」という意見が出ましたが同感でした。神経難病について伝えるのは難治癌のそれと同じく「悪い知らせ」を伝えることなのですが、病気の経過の各段階で今後起こることについて伝えることは医師の大事な仕事です。その際、希望を持てる仕方で伝える(「最善を希望し最悪に備える」)こと、ご本人やご家族を心理的にサポートすることが重要なのは言うまでもありません。最近よく語られるACP(アドバンス・ケア・プランニング)にしても、早期からの関わりの中で初めて可能になるのではないでしょうか。

他にも気になる点がいくつかありましたが、一つだけ。
MSAの人は初期から転倒しやすく、転倒予防、骨折予防が重要な課題です。
それに関して、訪問リハ担当者(理学療法士でしょう)が転倒しない動作を伝えてもそれができずに転んでしまうことについて、「認知機能の低下」と言われていました。

しかしMSAはいわゆる認知症()ではありません。仮に認知機能の低下があるとしても全般的な認知機能の低下ではなく、思考の緩慢化、実行機能の低下、空間認知の障害、など特定の機能の低下です。それを評価することで「なぜできないのか」「どうすればできるか」が分かる可能性があります。認知機能の低下と漠然と捉えてしまうことで可能性を狭めてしまうのではないか、と思いました。

私はリハ職や介護職の認識不足を責めるつもりはありません。本来は医師が、疾患から来る障害(インペアメント)と生活障害(ディスアビリティ)を結びつけて他職種や本人、家族に説明するべきなのです。それもまた医師の仕事です。

これらを含めて、この事例について、主治医の存在感がまったくないのが残念でした。主治医の役割は大きいはずなのです。会の後に症例提示者と少し話しましたが、主治医は病院の医師で、忙しいのであまり話ができない、とのことでした。それはそうなのでしょうが、それでいいとは思いません。

「医療と介護の一体的改革」の掛け声の下、「住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供される地域包括ケアシステム」の構築が言われています。今回の事例検討会もそのような文脈で行われたものでしょう。

自己紹介もなく、「顔の見える連携」になっていなかったのも残念でしたが、事例から医療の不在を感じたことも残念でした。

地域包括ケアの中で積極的な役割を果たすことが医師に求められていると思います。それに私たち医師がどう応えて行くのか。課題が浮き彫りになったように思えました。

 

本来は「認知症」という病気があるのではなく、慢性進行性に様々な認知機能障害を来す様々な病気があるだけです。漠然とした「認知症」のイメージがもたらす問題は考えられてよいと思います。