精神疾患は「脳の障害」?

心療内科・精神科の病気(以下「精神疾患」と呼びます)は脳の病気なのでしょうか?

統合失調症やうつ病、パニック障害やPTSDは脳の障害(注1)なのでしょうか?

YES/NOで答えるのは難しい問いです。たぶん、YESという答えもNOという答えも可能だと思います。

問い方を変えてみましょう。

精神疾患はどう説明するのがよいのでしょう?「脳の障害」と説明するのがよいのか。別の説明の方がよいのか。

「脳の障害」という説明

「脳の障害」と説明するメリットを考えてみましょう。

このフレーズは「脳の障害なので薬を飲みましょう。」という風に薬物療法とセットで使われることも多いようです。

こう言うと何となく説得力があります。

自分の「こころ」(感じ方や考え方、場合によっては人格?)を薬で変えられることに不安を覚える人は多いでしょう。ときに自分が「病気」かどうか分かりにくいこともあります。このような人に対して「脳の障害なので脳の働きを調整する薬が効く」などと説明することで、薬を飲むことの抵抗を小さくできるかもしれません。

もう1つ、「脳の障害」と説明することで精神疾患を持つ人への差別偏見を減らすことができる、という考え方があります。

多くの精神医療関係者がこれを信じているようです。脳の一部の機能が失調している、または脳内の神経伝達物質(ドパミン、セロトニン)の不均衡であって、その「人」自身の問題ではない、と見るのです。

これは「問題の外在化」(マイケル・ホワイト)と言うこともできますし、もっともらしく聞こえます。「あなたは悪くない、あなたがおかしいのではない、単に脳内伝達物質の問題なのだ。」ということです。

まとめると

  1. 薬物療法を正当化する
  2. 差別偏見を減らせる

というメリットがあるのではないか、ということです。

しかし実はこれらには疑問があります。

「脳の障害」に根拠はあるか?

精神疾患が「脳の障害」である、というのは実は科学的に証明された事実ではありません。むしろ、そう主張するには根拠が不足していることは度々指摘されています。

神経伝達物質の不均衡に至っては、そもそもは薬の有効性を説明するための仮説であり、その後の研究によってもそのレベルを超えていません。

その一方で、多くの精神疾患において心理療法(このブログでもしばしば触れている認知行動療法など)は薬物療法と同等かそれ以上の有効性が示されています。ガイドラインでもしばしば薬物療法より優先されます。心理療法の有効性を説明するために、神経伝達物質の不均衡を含めて精神疾患が「脳の障害」という仮説は必要ありません。

そもそも薬物療法であれ心理療法であれ、治療が有効であることとそれが特定の病因と結びついていることは別の話です。有効であるかどうかは統計的に判定されるのが現代医学の考え方です。

脳の障害なので薬を飲みましょう。」ではなく「効果があるから薬を飲みましょう。」であるはずなのです。いやむしろ「効果があるから」ではなく「効果が有害作用に勝るから」で、さらに正確には「この薬で起こる変化があなたにとってトータルで好ましいと考えられるから」と言うべきでしょう。

薬物療法を正当化するのはその効果であり、統計的なエビデンスなのです。「脳の障害」であるからではありません。

差別偏見を減らせるか?

精神疾患を「脳の障害」と説明することが精神疾患や精神障害者への偏見を減らす、という考え方は現在では疑問視されています。

いくつか引用しましょう。

Holding a neurobiological conception of these disorders increased the likelihood of support for treatment but was generally unrelated to stigma. Where associated, the effect was to increase, not decrease, community rejection.

(これらの疾患(統合失調症、うつ病、アルコール依存)について神経生物学的概念を持つことで治療につながっても差別が変わるわけではない。結果としてコミュニティからの排除は減るのではなく増える。

“A Disease Like Any Other”? A Decade of Change in Public Reactions to Schizophrenia, Depression, and Alcohol Dependence

また

There is a reasonably substantial evidencebase supporting the hypothesis that anti-stigma campaigns which frame psychosis as a meaningful response to adversity are effective. They are a more promising approach to “humanizing” people with complex mental health problems than strategies based on models of disease and disability.

精神病(psychosis)を困難に対する意味のある反応と見なす反差別キャンペーンは効果がある。それは疾患・障害モデルに基づく方法よりも、複雑なメンタルヘルス問題を持つ人々を「人間化する」見込みのあるアプローチである。)

‘People with Problems, Not Patients with Illnesses’: Using Psychosocial Frameworks to Reduce the Stigma of Psychosis

 

決定的と言えるのは国連特別報告者プラス氏の見解(注2)です。近年の調査研究を踏まえたものでしょう。

The biomedical model regards neurobiological aspects and processes as the explanation for mental conditions and the basis for interventions. It was believed that biomedical explanations, such as “chemical imbalance”, would bring mental health closer to physical health and  general medicine, gradually eliminating stigma.However, that has
not happened and many of the concepts supporting the biomedical model in mental health have failed to be confirmed by further research.

(生物学的医学モデルは精神状態の説明は、神経生物学的状態とプロセスを精神状態の説明と見なし、それを介入の根拠とする。「化学的な不均衡」というような生物学的説明は精神保健を身体保健や一般医療に近づけ、徐々にスティグマをなくしていくだろうと信じられてきた。しかしそうはならなかったし、精神保健における生物学的医学モデルを支持する多くの概念はさらなる検証に耐えなかった。

精神疾患を「脳の病気」と説明することのメリットは疑わしい、と言ってよいのではないでしょうか。

精神疾患のよりよい説明とは?

では、精神疾患のよりよい説明とはどのようなものでしょうか?根拠に基づき、差別偏見を減らすことのできる説明とは?

この続きは近いうちに書きたいと思っています。

注1

「障害」(disorder)は「病気」(disease)と別の語ですが、ここでは区別せずに使います。

注2

プラス氏の報告は読むに値する論点が多数含まれています。詳しくは原文(PDF)とその山本眞理氏による日本語訳(PDF)をご参照ください。