「感情失禁」で思い出す人

「感情失禁」という言葉で思い出す人がいます。もう10年近く前、一般病院に勤務していた頃ですが、80代の男性が奥様に付き添われて受診されました。

脳梗塞による軽い認知障害があり、歩行障害があるため車椅子を使っておられました。

眠れないため近くのクリニックで薬をもらっているが眠れない、とのこと。一方奥様は日中ずっとウトウトしていることを気にしておられました。

処方を見せていただいて驚きました。

ハルシオン 0.25mg 3錠
ベンザリン 10mg 3錠
1日1回ねる前

ベンゾジアゼピン系睡眠薬が2種類計6錠、しかもそれぞれ大きな錠剤(ハルシオンは0.125mgと0.25mg、ベンザリンは5mgと10mgの錠剤あり)です。

もちそん最初からこうではなかったのですが、薬を増やしても増やしてもご本人が眠れないと訴えるため、雪だるま式に増えたようです。

眠れないと訴えるご本人とは裏腹に、奥様は日中ずっとウトウトしていることを気にされています。

普通に考えて、日中こんな様子であれば、夜はよけいに眠れないでしょう。

それだけでなく、ベンゾジアゼピンは増やせばそれだけ効果がある、という薬ではありません。通常の使用量を超えると効果は頭打ちになり、それどころかかえって眠れなくなることもあります。

もう一つ気になったことは、特につらい話をしている訳ではないのに悲しそうな顔になって涙があふれて来たことです。

さて、ともかく減薬が必要ですが、眠れないというご本人の訴えも無視する訳には行きません。

レスリン(トラゾドン)を処方しながらベンゾジアゼピンを減量するという方針にしました。トラゾドンは比較的副作用の少ない薬で、熟睡できない場合に効くことがあります。それでも夜間のふらつき転倒などを起こし得るので高齢者に処方するのは抵抗があります。悩みながらの処方でした。

レスリンを処方したところ、幸いふらつきなどはなく、少し眠れるようになった、とのことでしたので、ベンゾジアゼピンを減量することにしました。ただし急いで減らせると離脱症状で眠れなくなり失敗する可能性があります。月1回の診療で半錠ずつ減量しました

ゆっくりではあるものの着実に減薬は進み、1年後に処方はこうなりました。

レスリン 25mg 1錠

1日1回夕食後

ハルシオン 0.25mg 1錠

ベンザリン 5mg 1錠

1日1回ねる前

 

ベンゾジアゼピンの減量で日中の眠気がなくなりました。

そのおかげでデイサービスが利用できるようになったのも大きかったです。生活リズムが改善し、心身によい刺激が加わるようになりました。

すぐに泣き出すようなこともなくなりましたし、何よりもご本人の表情が自然でしっかりしたものに変わりました。隠れていた本来のその人の姿が現れたようで、感銘を受けたことを憶えています

朝方の眠気を訴えられるようになったのでベンザリンを終了することができそうでしたが、あいにく転勤となったため、私の診察は終了となりました。

まとめ

この例は、脳血管障害を背景に、そこにベンゾジアゼピンが引き金となって感情にブレーキがかからなくなった、と考えることができます。ベンゾジアゼピンはアルコールと似ているところがあります。この場合は酔っ払って「泣き上戸」になるのと同じことが起こっていたのだと思います。

高齢者に異変が見られたときまず薬の副作用を疑うのは鉄則です。「感情失禁かな?」と思ってもすぐに認知症のせいにせず、薬、特にベンゾジアゼピンの影響を考えてみる、というのがこの例の教訓ではないかと思います。ベンゾジアゼピンをむやみに処方しないこと、特に高齢者には処方を避けることは言うまでもありません。