「今」を生きることを助けるー終末期の症状緩和

つい今しがた言葉を交わした患者さんが寝息をたてています。穏やか、とまでは言えませんが、苦しそうな表情ではありません。

「今」を生きる人

私の前に横たわっているのは、残された時間が数日かもしれない人、終末期(end-of-life)の患者さんです。

その人は私たちと同じように「生きている」人ですが、私たちと違って「死にゆく人」でもあります。

私たちと同じ時間を生きていますが、彼の生きている時間と私たちの生きる時間は同じではありません。

少なくとも確かなのは、その人にとって「今」「現在」という時間の価値は私たちにとってよりはるかに大きいことです。

上田三四二はがん患者として生きる日々をこのように歌っています。

死はそこに抗ひがたく立つゆゑに生きる一日(ひとひ)一日はいづみ

残された時間が短ければ、患者さんにとっても、その家族にとっても、一日一日は、「泉」にたとえられるような、新しい、豊かな体験で満ちているのかもしれません。

ここ何日か、患者さんはうとうとして眠る時間が長くなっています。夢を見ているのかもしれません。それは若い頃の思い出なのかもしれません。親しい人と夢の中で会っているのかもしれません。

目覚めても夢うつつ、それは「せん妄」と呼ばれたりもしますが、それも患者さんの生きる現実です。

確かなのは目覚めたときも眠っているときも、彼は「今」を生きているということです。彼の体験する「今」が豊かなものであってほしいと思います。

医師の役割

患者さん宅からの帰り道、医師の役割について考えました。その人が「今」を生きることができるように、それを妨げられないようにお手伝いするのが私たち医師の役割ではないか、と。

残された時間の一日一日、一時間、一分がかけがえのない時間です。

それを「よく」過ごせるように、医師はお手伝いできます。

身体的苦痛の緩和、という基本

医師のできることは何でしょう。それはまず苦痛の緩和です。

緩和ケアの創設者と言えるシシリー・ソンダースは全人的苦痛(total pain)という視点を導入しました。

下図のように、痛みには4つの側面があり、それらが互いに影響し合っている、という考え方です(亀田グループ医療ポータルサイトより)。

全人的苦痛

全人的苦痛を和らげるためには本人を取り巻く人々によるサポートとケアが必要です。医師もその中の一人です。必ずしも医師はその中の中心という訳ではありません。場面や状況によってはむしろ控え目であることも必要です。

ただし、身体的苦痛の緩和では医師が中心的役割を果たします。

全人的苦痛は相互に影響し合いますが、身体的苦痛の強い人は心理的苦痛、スピリチュアルな苦痛も強くなりがちです。その意味で、何よりもまず身体的苦痛の緩和です。

例外はありますが、緩和ケアで経験するのは、たいていの身体的苦痛は和らげることができる、ということです。

身体的苦痛の緩和はある程度の知識と経験があればできます。

身体的苦痛の評価と治療については、緩和ケア研修会など学ぶ機会は多く、緩和医療学会の各種ガイドラインもリリースされています。よい本もたくさん出ています。私がよく参考にしたのは、聖隷三方原病院症状緩和ガイドです。

これらをもとに、日々の診療の経験で肉付けして行けばよいのです。

コミュニケーション

ただし、ここで重要なことがあります。コミュニケーションです。患者さんや家族と話すスキルが緩和ケアでは不可欠です。

  • 診察場面で患者さんの苦痛を聴き取ること
  • ご家族やスタッフから患者さんの様子や言葉を聴き取ること
  • 苦痛の緩和について説明すること
  • 残された苦痛について受け止めること

このようなコミュニケーションスキルが医学的知識や医療技術に加わって、身体的苦痛の緩和が可能になります。

クリニックちえのわと緩和ケア

症状緩和に必要な薬(飲み薬、座薬)を処方しと在宅酸素を導入しています。患者さんとご家族が過ごす時間が、穏やかで豊かなものになってほしいと思います。

ここで述べていることは基本的なこと、緩和ケアのABCです。麻酔科などの専門スキルが必要な高度な疼痛緩和やスピリチュアルケアも含めた全人的苦痛の緩和より手前にあることです。

しかし、この基本的なことを丁寧に行うことで、在宅で、病院(緩和ケア病棟を含む)で、限りある日々を送るすべての人がよりよく生きることができる、と信じています。

このブログで緩和ケアについて書いたのは初めてだと思います。クリニックちえのわでは往診での緩和ケアと外来での遺族ケアを行っていますが、まだまだその機会は多くありません。しかし、そのような機会に思うのは、終末期の患者さんや、大事な人を亡くした方と関わるのは私はとても大切な時間であることです。

一つ一つの機会、一人一人の患者さんを大切にして行きたいと思いますし、緩和ケアの普及に少しでも役立てたら、と思っています。これからも折に触れて書いて行くつもりです。