統合失調症の人との思い出 4 ー 家族へのまなざし

長く入院している人同士にはつながりがあります。ある日当直で夜の病棟を訪れたとき、2人の患者がしみじみと話しています。その2人の組み合わせが意外で驚きました。病棟には夜の顔があり、医師や看護師の知らない患者さんのコミュニティがあるのだろうと思いました。

そうしたつながりの中にいる患者さんの一人が退院すると他の人が触発されるのはむしろ当然でしょう。

長期入院の人は、退院後の生活をイメージすることが難しいでしょう。そんな人が退院した患者さんと話すことで、いや入院中より生き生きした様子を見るだけでも、退院への気持ちが出てくるのではないでしょうか。

退院した人が、外来やデイケアのついでに病棟に立ち寄ることがあります。それが意図しないピアサポートになっていたのかもしれません。

Sさん

Sさんは私が病室を訪れると、たいてい寝ていました。「一生病院にいる。」と言います。「無為自閉」と言うべきか、陰性症状の目立つ統合失調症の人、という印象でした。

実家に住むお兄さんとの関係もうまく行ってないようでした。単に私たちの思い込みではなく、それなりの経緯もあったのです。なので私たちも彼女の退院は考えていませんでした。

しかしそんなSさんが、ある日ふと「自分も退院してみようかな。」と言いました。

馴染みの患者さんの退院が刺激になっているようですが「あのSさんが!」という驚きがありました。でも、だからこそ、Sさんの意思を大切にしたい、動いてみよう、となりました。

お兄さんとの面談で、恐る恐るアパート退院の話を出してみました。

予想していた反応とは違いました。意外にも受け入れがよく、協力してくれるようです。

どうやらそれまでは実家への退院ばかりを病院から言われていたようでした。だから受け入れられなかったのです。

ご家族にも生活があります。元々の関係がどうあろうと、家族の一人が長く不在なら、その人抜きの生活が作られて行きます。それはよい悪いの話ではありません。

そんな現時点の家族の生活と両立する、できる形の協力を求めて行くことが必要なのです。

お兄さんは退院準備はもちろん、退院後もアパートによく足を運んでくれました。

家族へのまなざし

長期入院患者に関わる医師や看護師は、あまり病院に姿を見せない患者さんの家族に否定的な眼差しを向けがちです。

しかし、Sさんのケースは私たちの見方に再考を迫りました。

それは、医療者の視点、医療者の都合で考えているからではないか。

「非協力的」とラベルする私たちは、ご家族にできない協力を求めているのではないか。

そうではなく、できる協力を提案するべきなのではないか。

そのためにはご家族とよく話し合わなければなりませんし、ご家族の事情を知らなければなりません。

家族ということで印象に残っているのはHさんの娘さんです。

Hさんは幻聴はあるものの、生活ぶりを見る限り、入院しているのが不思議な人でした。ご本人も退院を希望しています。

しかし、娘さんと折り合いが悪いようです。退院には娘さんの協力が必要なのですが難しそうでした。

それでも話し合ってみよう、と娘さんと面談を持ちました。

折り合いが悪いのは仕方のないことなのだろう、娘さんは相当苦労して来たのだろう、と思いました。そこで「これまで苦労して来られましたよね。」とねぎらいの言葉で面談を始めました。それを抜きにおかあさんについてお願いはできないと思ったのです。

すると娘さんは泣き出しました。私たちが戸惑っていると、彼女は「病院でこんな言葉をかけてもらったのは初めてです。」と言います。

それまでの母子関係、どんな家庭であったかについて、詳しく聞いたかどうか憶えていません。聞いていないかもしれません。しかし、今の言葉で言うとあるいは子供の頃からヤングケアラーとして娘さんは苦労して来られたのでしょう。そんな娘さんにとって、Hさんと関わることはとてもしんどいことであるのは容易に想像できます。

しかし、そのことに病院の医師や看護師が目を向けることはなかったのです。

その後、娘さんの協力でHさんは退院しました。

家族は患者さんをサポートできる心強い存在です。しかしその家族のサポート、ケアも必要です。


退院したSさんのアパートを訪問しました。
訪問した私と看護師にSさんはお茶を出してくれました。

特別な場面ではありません。しかし、病棟でずっと横になっていたSさんが来客である私たちにお茶を振る舞ってくれる、それは忘れがたい場面です。